肌荒れを気にしなくなる方法

ファッションと自己肯定感

肌荒れは、肌だけではなく「心」にもダメージを残しています。欧米では、肌荒れに悩む人は、同時に精神科にも通っているとの報告もあります。

肌が綺麗な人は、「たかが肌荒れでそんなに悩むなんてアホらしい・・・」と考えるでしょう。とはいえ、当事者にとってはかなり深刻な問題であり、一刻も早く改善したいと考えるのが自然です。

しかし私は、肌荒れを気にして、悩んでいてもいいと思います。

私は、顔中がベトベトの脂性肌になり、ニキビが大量勃発しました。その当時は、肌を見られたり、肌の事を言われるのが嫌だったので、人付き合いにも消極的になり、一人でいる事が多く、肌荒れを気にしまくっていました。

なぜ私達は、たかが肌荒れをこんなに気にするのでしょうか?

ステージ4の末期がんでもなければ、致死性の猛毒でもありません。ただ、皮膚が他の個体より少し炎症を起こしているだけです。

ただそれだけなのに、私達は肌荒れを過度に気にします。

私はその理由を、肌荒れは人を殺せる病気だという事を、私達は無意識的に理解しているからだと考えています。

肌荒れが人を殺せる病気だという視点を持ってみると、不安に感じると思いますが、その不安があるからこそ、肌荒れを気にしない人になれると考えています。

なぜ肌荒れで死ぬ?

肌荒れで人が死ぬと言いましたが、肌荒れ自体は直接的には人を殺める性質はないと思います。

ではなぜそんな物騒な事を言ったのか?

それは、人間は肌荒れにより社会性を失い、それにより社会的に死ぬ可能性があると考えたからです。

人間は社会的な動物であり、お互いに協力しなければ生きていけません。これはマンモス等を狩っていた狩猟採集民の時から今現在まで変わらないと思います。

あくまで社会的な死という話でしたが、古代の実験では、生まれたての赤ちゃんに、スキンシップや会話を全くせずに接した結果、赤ちゃんは短期間で死亡したという話もあります。

それほど、人間は社会的な繋がりを重視する生き物である事は間違いないと思われます。

人間は、他社と協力し合わなければ、文字通り生きていけません。牙も爪もなく、足も遅く、持久力もない人間が、過酷な競争を生き延びてこれたのは、協力してこれたからだと考えても過言ではないでしょう。

社会的な繋がりを失えば、協力を得られず、食料を調達する事も困難になります。人間は協力するようにできているので、孤立状態だと、協力した際に分泌されるセロトニン等の幸福物質も分泌されず、精神的な安定感も得られず、ストレスフルな生活を強いられる事になります。

つまり、社会的な繋がりを失えば、社会的な死だけではなく、最終的には生物的な死も速まる可能性があると言っても過言ではないと思われます。

私達は、肌荒れで悩んでいる時、「汚い肌を見られたくないから人に会わない様にしよう・・・」、「治るまで引きこもっていよう・・・」、「肌を見られたくなくて顔を合わせられない・・・」と考える傾向にあると思います。

そうした時、自分の殻を作る事で、「肌を見られずに済んだ」「嫌われずに済んだ」という一時の安心は得られますが、その殻により社会と自分を切り離し、社会的な死を招くリスクを高めていると考えられないでしょうか?

肌荒れが人を殺せる病気というのは、肌荒れは、社会的な動物である人間から、社会性を奪うからだと考えられます。

つまり、肌荒れのせいで人を避けるようになると、社会的、延いては生物的な死を招く恐れがある。だからこそ、私たちは「たかが肌荒れ」をここまで気にしてしまうのかもしれません。

人との繋がりを失いたくない!

先述したように、私達が肌荒れを気にするのは、人との繋がりを失うのを恐れているからというのは少なからずあるはずです。

逆に言えば、肌荒れだろうと、人との繋がりを失う事がなければ、肌荒れは大した問題にはならないのではないとも言えます。

私達は、嫌われたくない、良い印象を持っていてほしいと、他人からの評価を気にする為、自分の弱みを隠すものです。「弱みがあると嫌われる・・・そしたら人との繋がりがなくなってしまう!」と思い込んでいるのがその大きな原因だと思われます。

そうであれば、「弱みはダメなもの」という思い込みさえ解消すれば、「肌荒れ」が「人との繋がりを失う」事とイコールではない事に気付くのではないでしょうか?

事実、肌荒れ自体に人との繋がりを断つような作用はあるわけではありません。肌荒れを弱みだと感じてしまう自己イメージが、無意識的に人との繋がりを断つようにしてしまっていると言えます。

私達は、幼少時の何らかの経験から、少なからず「弱みはいけないこと」「弱みは隠すもの」という思い込みを抱きます。そう強く思い込まされた人ほど、プライドが高く、人に弱みを見せられなくなります。

だから私たちは、「肌荒れになってしまった!」⇒「肌荒れが治るまで人との関りを断って、弱みを隠そう!」という計算を無意識の内にし、人との繋がりを断ってしまうのだと思います。

自分の内面的なコンプレックスであれば隠すのは容易ですが、肌荒れなどの身体的なものは隠そうと思って隠せるものでもないので、隠すためには自分の殻に閉じこもる事が最適だと判断してしまうのでしょう。

人との繋がりを維持する方法

では、どうすれば肌荒れしていても堂々とし、人との繋がりを維持していけるでしょうか?

これに関して私は、とてもシンプルな結論に辿り着きました。それは、「私達自身が今まで通りでいる」というものです。

私が肌荒れに悩んでネガティブになっていた当時、友達からの遊びも、彼女からの誘いも、新しい知り合いとの出会いも、全ての人との繋がりを拒否していました。

当然、私は付き合いの悪いやつという印象を抱かれ、人との繋がりが希薄になっていました。

しかしそれでも根気強く誘ってくれる人も中にはいて、そんな人達とは「肌のこと言われたら嫌だな~・・・」「ジロジロ見られたくないなぁ」と思いながらも会っていました。

その人達は、以前とは違う肌の私を見ても、ただ陽気に「久しぶり!」と言い、今までと全く変わらない態度で接してくれました。

また、大学で新しく出会った付き合いの浅い友達とも親密な関係を気付けました。私は勝手に「こんな肌の汚い自分とは友達になりたくないだろう・・・」と思っていたにもかかわらず、彼らはそんなの関係ないとばかりに接してくれていました。

私達は、肌荒れを気にしすぎるあまり、圧倒的に自己肯定感が低くなってしまっています。それが原因で、ネガティブな妄想で言い訳を創り出し、人付き合いを避けようとします。

教養のある人は、見た目だけで人を判断しません。あなたという人間の中身を見てくれます。

あなたと親しい友達は、あなたの見た目だけを見ているのではなく、中身も見ています。だから、見た目が変わったとしても、あなたへの態度は何ら変わりません。

私は、情けないことに「友達が私の見た目だけじゃなく、私の中身も見ている」というシンプルな事さえ忘れて、肌が荒れているから嫌われる・・・と思い込んでいました。

勇気を出して人と会う度に、「この人たちは皆、肌だけじゃなく中身も見てくれている」と心から思えるようになり、それに伴い、肌が荒れているからって人との繋がりが失われるわけではないと実感でき、肌を気にしなくなっていきました。

私達自身の中身が今までと変わらなければ、他の人の態度が変わる事はありません。そういう意味で、私たちは今まで通り、又は今まで以上でいる必要があります。

それさえできれば、教養のある人や、あなたと親密な関係の人は、肌荒れがあるからといってあなたに対する態度を変える事はないでしょう。

だから、肌荒れを気にしていてもいいから、人との繋がりを維持していくべきだと思います。人との繋がりさえ維持されていれば、いつのまにか肌荒れは気にしなくなっています